第6章 M. オリミンスキー「黒いヘクトグラフ」

1890年代の初め、警察はあまりに強く、秘密組織はあまりにばらばらで力を失っていたので、非合法印刷所を設けることは望みのない事業と考えられていた。使われていたのはヘクトグラフだけだった。それは刷れる枚数があまりに少なく、しかも黒いインクではなかった。そのため多くのサークルで、活版印刷とヘクトグラフ印刷の中間にあたる何かを発明しようと、頭をひねっていた。

ボンチ=ブルエーヴィチ同志は、新しい発明品であるミメオグラフを利用しようとした試みについて語った。私はそれに付け加えて、それより早い、そしてもう純粋に革命的な発明である「黒いヘクトグラフ」について、いくらか述べておきたい。

1891年の秋、ペテルブルクで若者のサークルができた。その大半は、一部は高等教育機関の上級学年に在学中の者、一部は政治的動機からそこを退学処分になった者である。サークルには、とりわけ次の人々が加わっていた。

  1. ニコライ・レオニドヴィチ・メシチェリャコフ(現共産党員)。
  2. アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・フェドーロフ。マルクス主義に近い人民の意志派で、のちに「人民の意志派グループ」とマルクス主義的な「労働者階級解放闘争同盟」との接近に力を尽くした。故人。
  3. エカチェリーナ・ミハイロヴナ・アレクサンドロワ。人民の意志派で、のちに社会民主主義者、党第2回大会招集のための1903年の組織委員会のメンバー。この大会のあとメンシェヴィキに加わった。
  4. ニコライ・ドミートリエヴィチ・ソコロフ。のちに政治事件の有名な弁護士となり、ペテルブルクでの国会選挙でボリシェヴィキの候補者となったが、1917年からは右へ去った。
  5. アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ポトレソフ。有名なメンシェヴィキ。
  6. レフ・カールロヴィチ・チェルマク。人民の意志派、統計学者。
  7. ヴェニアミン・ワレリアノヴィチ・タタリーノフ、医学生。その後の消息は知らない。

そのほかにも何人かが加わっていて、そのなかに卒業間近の工科大学生レフ・ペトロヴィチ・クロブーコフがいた。

サークルは「ゲルツェン会」と名乗り、まもなく崩れた。それでも、ペテルブルクの社会民主主義労働者の組織の金庫から借りた資金で、合法の石版印刷所を通じて『パリ社会主義大会議事録』の不完全な翻訳を出すことはできた。

L. P. クロブーコフは化学を専攻していて、そのなかでもとりわけ、さまざまな香りのエッセンスをつくるための化合物に実際に熱中していた。彼は、とても若くてかなり愛らしい妻マリア・アレクサンドロヴナと、たしか工科大学に近いヴェレイスカヤ通りの、二間か三間の独立した住まいに住んでいた。のちに彼のところには、たしかチェルニゴフ県の地方長官の妻である母親も一緒に住むようになった。住まいはたいてい、思いがけない、必ずしも心地よくはないさまざまな匂いで充満していた。

この同じ住まいで、レフ・ペトロヴィチは黒いヘクトグラフの研究に取りかかった。その秘密がどこにあったのかは知らない。記憶に残っているのは、版の材料の成分か、インクか印刷インクの成分かに、ぶどう糖が入っていたということだけだ。

作業の順序は次のとおりだった。原稿を版の材料に写し取ると、そこで何かの反応が起こる。そのあと、黒い印刷インクをローラーで同じ版の上に転がす。インクは、版のうち書き物用インクを吸った場所だけに吸われるはずだった。その場所は膨らんで、盛り上がりが目に見えた。残念ながら、インクがそのほかの表面まで汚すこともあったが、ひどくはなかったので、たやすく読むことができた。それでもこれは欠陥で、クロブーコフはその解消に長いあいだ苦心した。

刷り上がる枚数はヘクトグラフよりずっと多く、しかも紫色ではなく黒かった。

この方法で、同じクロブーコフの住まいで、どんな出版元の名義だったかは覚えていないが、小冊子『人民の意志党の準備活動』がただ一冊だけ刷られ、無事に配布された。

「ゲルツェン会」が崩れたあと、私はクロブーコフを見失った。彼の名前は、いつか逮捕された人たちのなかにも、印刷物全般のなかにも、目にしたことがない。

黒いヘクトグラフの秘密は、どうやら解き明かされないままに終わったようだ……。

M. オリミンスキー

第6章 訳注

  1. オリミンスキー:M. S. オリミンスキー(1863〜1933)。第1分冊では党名「ガリョールカ」。イストパルトの責任者。
  2. ヘクトグラフ:ゼラチン版にアニリンインクで書いた原稿を写し、紙を当てて複写する簡易印刷。刷りは紫色で、枚数に限りがあった(第5章の「50部か75部」も参照)。
  3. 「ゲルツェン会」:アレクサンドル・ゲルツェンにちなむ名称。
  4. 『パリ社会主義大会議事録』:1889年の第2インターナショナル創立大会の議事録と考えられる。
  5. 技術的記述:本文にある範囲で訳し、補足はしていない。
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