1
国境までの道筋はヴィリノで受け取らなければならなかった。そこでは当時、軍医のフョードル・ワシーリエヴィチ・グサロフ(「クジマー」)が働いており、彼と話をつける必要があった。そのためスモレンスクからまっすぐそこへ向かわなければならなかった。途中、ある用事を果たし、ついでにヴィリノのヤフカを確かめるために、ミンスクに短く立ち寄ることになっていた。
列車がミンスクに着いたのは早朝だった。車中では一睡もしなかった。ヤフカの時刻まではまだ遠い。そしてこういう場合のおきまりの、何の興味もない町の放浪が始まる。初めはまだいくらか目的がある。下見、つまり、あとで目当ての家とヤフカの住まいを探すことになる通りへの方角どり。だがその先はもうどんな目的もなくなり、ただ時間をつぶすという課題だけで、通りから通りへと当てもなくうろつくことになる。そしてその時間が、今度のように早朝にあたると、とりわけ退屈だ。顔を洗う場所も、お茶を飲む場所もない。どこかの居酒屋か茶店が開くのをじりじりと待つ。そして同時に、そこで迎えるのは寝不足でまだ目の覚めきらない人間で、最初の客としてあまり愛想よく迎えてはくれないことも知っている。台所はまだ動いておらず、湯は「ちょっとお待ちいただかないと」。机には前夜の名残がまだ片づけられておらず、床の汚れも同じだ……
時間はうんざりするほど、のろのろと過ぎていく……
ヤフカでは客間に通され、委員会の人を呼びにいくあいだ待つように言われた。
「楽にしていてください、同志」
この勧めと、とりわけ、当時ヤフカの住まいではめったに聞かれなかった、この強調された「同志」という言葉は、私が「身内の」人々のところに来たことを示していた。
こんなに裕福なヤフカの住まいに当たったのは初めてだった。いくつもの部屋、すばらしい家具、カーテン、絨毯、暖炉。そっとソファに腰をおろし、「待ち」はじめる。部屋には誰もいない。どうやらこういう訪問にはもう慣れていて、訪問者は放っておかれるらしい。柔らかく、暖かく、居心地がいい。けばけばしい色がなく、くつろぎに誘う。誰も入ってこず、隣の部屋でも人の動く気配がしない。机の上にも暖炉の上にも、置き忘れた本や新聞が一つもない。自分自身と二人きりで座っているほかない。
少しずつ暖かさと静けさが体を包む。町を歩きまわった疲れが出てくる。眠れなかった夜がまぶたに重くのしかかる。まわりの物が遠ざかったり近づいたりし、まったく似つかわしくない形や大きさになる。ときどき何もかもがすっかり意識から抜け落ち、また何か一つの細部、机の脚や暖炉の縁となって戻ってくる。それから急にすべてが一度に元に戻るが、なにか別の、見慣れない光のなかでである。何かを理解したい。何かを振り払いたい、何かから自由になりたい。そして目をすっかり閉じて考えるのをやめるのは、なんとも心地よい。
そしてまた何もかもがかすみ、ぼやけ、遠ざかりはじめる。目の前に赤や青や黄色の斑点が漂う。肘掛け椅子の縁がくっきりと浮かびあがり、その脚はどこか床より下の奥へ沈み、背もたれは天井へとのびていく……そして顔が、本物の人間の顔が、肘掛け椅子の陰からのぞいて、またそこに隠れる。また。好奇心いっぱいに見ている。観察している。また目の前に部屋全体。すべてがくっきりと、はっきりとして、輪郭が鋭い。小さな好奇心に満ちた人間の顔が、それでも肘掛け椅子の陰からのぞいては隠れる……
生まれて初めて、髪の毛が逆立つのを感じる……
すっかり目が覚めて、ソファから跳ね起きる。肘掛け椅子の陰から、部屋を横切って壁へ、そして暖炉の上へ、二跳びで小さな猿が逃げていく。
まだ幻覚から抜けきれず、事実を前にばかみたいにうろたえて立っている。
猿のほうは落ち着いて座り、しっぽを巻きこんで、指を唇にあてた。まるでこう言いたげに。
「黙ってなさいよ、同志……」
これほど小さく、人間らしく分別のある、生き生きとした顔には、それまで出会ったことがなかった。なんだか落ち着かず、気まずく、恥ずかしくなった。だがなぜ恥ずかしいのか? 誰のために? 突きつめはしなかった。この気まずさから抜け出そうと、よく見て近づきになるつもりで暖炉のほうへにじり寄った。だが猿はカーテンにつかまって戸の上のコーニスに飛び移り、そこからもう鋭い、あざけるような視線を送ってきた。
どうするほかあったろう? 自分の席に戻って待ちつづけるのだ。孤独を味わいながら、同時に、自分は一人ではなく、あからさまな観察のもとにあると感じながら。
そして同時に、何か侮辱されたような感じが生まれて気にかかったが、それがはっきりとした形をとることはなかった。あとになってようやく、やはり何の目に見える論理もなく、ある考えが浮かんできた。「まったく、ここでおまえは誰の『同志』なんだ、主人たちのか、それとも彼らの猿のか」。
2
ヴィリノにも列車は早朝に着いた。そしてやはり半日、通りを放浪しなければならなかった。だがここでは少なくとも通りがおもしろく、城山がある。それに登るのは、初めは何かを約束しているかのようだ。いずれにせよ、時間はほかの場所ほど死ぬほど退屈に、のろのろとは過ぎない。そしてたまたま、チェンストホヴァの聖母のそばで、歩道沿いにひざまずく人々の長い列に出くわすと、まったくもっておもしろくなる。
ヤフカではグサロフと話はできなかった。夕方、別の場所でと打ち合わせた。この新しい住所で呼び鈴を鳴らすと、兵士が戸を開けた。それは、会合の場所に指定された住まいの主、イワン・イワノーヴィチ(たしかそうだった、そしてたしかクロポフ)という二等大尉の従卒だった。このイワン・イワノーヴィチあてに、「某連隊、某中隊、閣下へ」と、私は1年か1年半前にプスコフから手紙を書いていた。彼の中隊に勤めて予備役に退いた下士官が、元の「父なる中隊長」に自分のことをとりとめもなく知らせたがっている、という体裁で、わざと字の書けない者のように書かなければならなかった。「わたしは規則をしっかりまもってをりやす、かっか、それとわたしのおふくろがかっかにじめんにつくほどおじぎをいたしやす、かわいいむすこにごしんせつにしてくださつて……」。そしてそのあと行間を化学薬品の暗号で埋めるために、ほかにもいろいろたわごとを並べなければならなかった。こういう手紙をイワン・イワノーヴィチは私から何通か受け取ったが、それらはみな論理的につながっていた。そのつながりのために、何かまるごと一篇の物語をこしらえ、この若者を結婚させることまでしなければならなかった。彼は両親の祝福のほかに、中隊長の祝福も受けたがったのである。「けっこんしきにはかっかのごめいよがくわわりやす……」
だがこれは、手紙を書いてやるうちに私が思い描いていたイワン・イワノーヴィチとは別人だった。このうえなく感じのよい人のいい人で、まったく軍人らしくない。そして今度われわれにお茶を出してくれた従卒も、同じくらい、虐げられて鈍くなった従卒らしくなかった。しかもこの従卒が部屋に入ってきても、話を中断しなくてよかった。彼はほとんど身内だったのである。
グサロフはもう来ていた。そしてそこには、今日キエフから着いたノスコフとリュビーモフ(「マルク」)もいた。マルクは、われわれがそこにつくった基地の上に中央委員会の中央技術ビューローを置くためにスモレンスクへ向かうところだった。キエフではその直前に大きな摘発があり、本拠をしばらくそこから離れたところへ移したほうがよかったのである。
私はカーメネツ=ポドリスクに腰をすえ、クドリンの逮捕以来動いていなかった道筋をそこで立て直してみる、ということで話がまとまった。そこへのヤフカはあったが、摘発されていないという確信はなかった。そしてこの町についてのほかの指示もつながりも何もなかった。それは現地で確かめるしかなかった。こういう状況は当時めずらしくなかった。連絡が遅く、摘発がたびたびあるので、使う時点ではヤフカがもう機能しなくなっているか、存在しなくなっていることさえ珍しくなかった。
そういうヤフカに行きあたると、すぐに不信と疑いの厚い壁を感じる。「スパイ」――この小さなとげとげしい言葉が、ここで人を値踏みする目つきから発散し、こちらの質問に対する不満げな、ときには見下したような返事から聞こえてくる。これはつらい瞬間だ。そしてときには、とうとうそれを晴らせないこともある。だが、2、3の誘い水になる質問やほのめかしで不信が少し晴れ、半ば肯定し半ばほのめかす形で、必要な手がかりを引き出せることもある。
暗号化の不注意やまちがいで、住所や姓や合言葉がゆがめられていることもあった。探すときには、「推測」したり、手元にある要素から欠けたものを復元したりしなければならなかった。その少し前、モスクワのある役所で、ヤフカの姓を、その頭の部分だけを頼りに探さなければならなかったことがある。解読してみると、それは「アツェル」……で、その先は明らかにまちがった子音字がずらりと並び、発音できない姓になっていた。だがほかの住所はなかった。役所の使い走りにたずねる。
「アツェル……さんに用があるんですが」――と、語尾は飲みこむ。
「何ですって?」
「アツェル……オフ」と、どもる人のふりをする。
「アツェロヴェロフのことですか?」
「そう、そう……も、もちろんその人です」
あるいは、同じ町への別の旅のときには、「カルーガ門のそばのベロツェルコフスキー薬局」。カルーガ門のそばに薬局は、聞けば、たしかに一つだけあるが、看板の名前が違う。もしかしたらベロツェルコフスキーはそこに勤めているだけなのか? 入ってたずねてみると、まさにそうだとわかる。だがベロツェルコフスキーは、合言葉に対して、驚いたような、閉ざした顔をする。
「何をおっしゃりたいのかわかりませんが……」
こちらも驚いた顔をしてみせるが、今度ははっきりとうろたえて。
「失礼ですが、あなたはベロツェルコフスキーさんでしょう?」
「ええ、ベロツェルコフスキーです」
「どうしてこんなことに……なぜこんなに取りちがえたんだろう……」
そして、恐ろしく困った立場に陥ったことを相手に隠そうともせず、途方に暮れてあたりを見まわす。そのあいだにベロツェルコフスキーはすばやくこちらの姿を上から下まで見渡す。その目はまだ厳しさを残しているが、もう疑わしげというより注意深くなっている。
「どちらからです?」
「今はヴィリノからまっすぐ来たところです……」
これは、ヴィリノの前にもどこかから来たということ、つまり、ヤフカや合言葉の変更を折よく知るには遠すぎる道のりだったということを意味する。
「たぶん住所をおまちがえでしょう」
「まずそんなことはありません。こんな遠くからでは、そんなまちがいはしません。それに、私にはほかに住所がないんです。ここで渡すはずの品物は駅に置いてきました」
「もしかしたら、ここに誰かお知り合いでも?」
「たぶん誰もいないでしょう。ここの人たちはすぐいなくなるし、私がここへ来るのもまれですから……」
「それでもね、あなたのおっしゃることは私には関係ありません。ずいぶん前に、知り合いの一人が、住まいがないときに、もし私のところに『ワーニャおじさんから』と言って訪ねてくる人がいたら、彼のところへ回してくれと頼んだことがあります(彼自身がちょうどそう呼ばれているんです)。でも誰も私のところに来なかった。そして今はその知り合いも、どこかへ行ってしまって……」
彼がもう私を助けると決めたのは明らかだったが、多少こじつけてでも、保安部の目から見てさえ「自然な」ものに見えるような、論理的な「市民的」持っていき方を探しているのだった。今度は私が彼を助ける番だ。
「もしかしたら、そのお知り合いは戻っているかもしれませんよ……」
「いや、ここにはいません」
「では、ここに身内がいて、事情を知っているかもしれませんね……」
「そうだ……あなたはどこに泊まっているんです?」
「どこにも」
「彼の妹を探してみましょう……彼女もどこかへ行っていなければ」
「では、いつあなたのところへ伺えば?」
「私のところへは来なくていい。遠すぎます。今日の6時に、プーシキン記念像のそばの、右側のベンチに座っていてください」
言うまでもなく、プーシキン記念像のそばで私はヤフカを受け取る。そしてヤフカでは、ゼムリャチカと話をするのである。
だから、カーメネツ=ポドリスクのヤフカが不確かだということは、決して意欲をそがないし、その価値を減らしさえしない。ただグサロフと、ヤフカだけでなく、国境を越えてリヴォフまでの道筋全体を確かめ、中継地点と密輸業者との直接のつながりも確立し、固めておく必要がある、と取り決める。私の最初の偵察のあとで、グサロフはそこへ来て、現地で一緒にいちばん都合のよい組み合わせを決めることを約束する。
だが私たちが再会したのは、それから6年後、エニセイ県でのことだった。彼はもう流刑にされていて、私は護送隊とともに移送される途中で、一夜の宿に彼のところに立ち寄ったのである。そしてさらに10年後、私はオムスクで彼の墓前で弔辞を述べなければならなかった。コルチャークの監獄と、われわれ自身の同志としての(かっこに入れたくなるが)無関心とが、この類まれに正直で、事業に献身した同志「クジマー」の最期を早めたのである。
3
スモレンスクには、それでも何かしらの「生活」があった。そこはポーランドとのあいだ、モスクワと中央農業地帯とバルト海の港とのあいだの鉄道の結節点だった。通過地点ではあったが、その通過から何かしらは町の心理にも残っていた。ここにはいくらかの商業の動きがあり、何かしらの「社会的な」ざわめきがあり、あれこれの志向や自己主張の試みがあり、外からのあれこれの浸透があった。一言で言えば、ふつうの町で、そこの住民は、自分たちを「田舎者ではない」、時代に遅れない人間だと考える、何かしらの根拠をもっていた。
カーメネツ=ポドリスクはまったく別だった。これは袋小路の町である。当時は鉄道さえ町を避けていた。一本は90露里離れたところを、もう一本は20露里離れたところを通っていた。そして県庁所在地へは、地主の屋敷か、さびれた郡の小さな町へ行くように、馬で行くしかなかった。よどんだ沼地の環境と雰囲気が、そこにはすっかりしみついていた。こまごました商売、小さな一人仕事の作業場、狭い路地、薄汚れて脂じみた郡部ふうの宿屋。そしておそらく、いわゆる社会生活にも、同じようなこせこせした、よどんだ、内輪の雰囲気があったろう。たしかに町は当時もう「旧市街」と「新市街」に分かれていた。そして新市街のほうはいくらか文化的な姿をしていた。だが両者の違いは、純粋に防火上のものだったのではないかと思う。新市街は建てるときに少しゆったりと配置されていたのである。
だが風変わりな町だった。浅く流れの速い川にかかる、かなりの高さの吊り橋(そこから人が川へ身を投げるのは、溺れるためではなく、粉々に砕けるためだという)があり、古いトルコの要塞が監獄に変えられていた。
だがここで、地元の土地とつながりをもたず、そこに根をおろさずに秘密の仕事をするのは、私の考えでは、まったく不可能だった。誰もが誰をも知っていて、誰もが人目にさらされていた。新しく来た者のことは、おそらく、その人が荷馬車を雇うために駅を出るときにはもう知られていた。そしてその荷馬車に乗っていくあいだに、もう御者が、荷物や、座り方や、ちょっとした言葉から、あるいは探りを入れる質問によって、はっきりした意見をつくりあげていた。そしてそれは事実から大きくはずれてはいなかったろうと思う。というのも、カーメネツ=ポドリスクのような環境では、この客が自分の商売にとってどれほど得になるか損になるかが、彼にとって大事だったからである。そしてそのためには、こちらが自分のことを話す必要はない。彼のほうからいろいろ話してくれる。そして話題から話題へと跳びうつりながら、こちらがどこにいちばん興味を示すかを観察する。そして町に近づくと、どの宿屋へお連れしましょうかという問いは、ただ「礼儀として」、あるいはせいぜい、こちらについてつくりあげた意見を最終的に固めるために、出されるにすぎない。
知り合いがまったくいないので、もちろんホテルに泊まらなければならなかった。そして旅の汚れを洗い落としたかどうかのうちに、注文したサモワールもまだ来ないうちに、もう誰かが戸をたたき、返事も待たずに入ってくる。
「こんにちは、ようこそおいでくださいました」
そしてすばやく、すばやく何もかもを目で見まわし、私とまだほどいていない私の荷物にちょっとだけ目をとめる。
「ありがとう。何のご用です?」
「失礼ですが、どちらからおいでで?」
「失礼ですが、それが何のために要るんです?」
「もしかしたら、何かお仕事でご入用のものとか、品物とか。わたくし仲介人でして」
「あいにく何も要りません」
「長くご滞在の予定で?」
私は腹が立ってくる。そしてもう、いっそあっさり追い払おうとする。だが思いなおす。自分という人間を彼の記憶に刻みこむ理由は何もない。
「実は、旅で疲れているんです。着替えて休まなければなりません。今は何の用件の話もしたくないんですよ」
「ああ、そうですとも、わからないはずがありましょうか? 気がつきませんで、ばかな頭でして。旦那、お許しください。旦那がお許しくださるなら、またあとで伺います」
そして旦那の許しも待たずに、するりと戸から抜けて消える。
1分後、戸が少し開いて、頭が突き出される。もう別の頭だ。こびるように目を隅々に走らせ、それを私の上にとめると、幸せそうな笑みを浮かべる。
「失礼いたします……もしかして、旦那、何かご入用では?」
「何も要りません」
「もしかして、たばこ、極上のトルコたばこ、下着? 外国製の……関税なしの?……」
「何も要りません」
「もしかして、旦那、服をお仕立てになりますか?……生地がご入用では?……仕立て屋をご紹介できますが……」
「いいかげんにして、出ていってください」
「旦那のお気にさわるつもりはなかったのですが……」
そして音もなく、ただちに消える。1、2分後、また同じような訪問。「旦那、月ぎめの辻馬車はご入用では?」。それからまた。「旦那が長くご滞在なら、住まいはご入用では?」……町に住民より仲介人のほうが多く、新しい顔はどれも否応なくあらゆるサービスの申し出の対象になり、その行動はいちばん私的なものにいたるまで、何かのサービスを申し出ようというただそれだけの目的で、何百もの目にたえず調べられている、そんなところで秘密を守ってごらんなさい。これは「もう気に入らなかった」。
ヤフカを確かめた。機能している。住まいは、記憶ちがいでなければ、ドヴォイレツ。ごく若い男で、事情をすっかり知っていて、いわゆる「まったくの身内」だった。彼の姉はそのころキエフで働いていた。そして彼のほかに、密輸業者とのつながりを保っていたコジツキーという男がもう一人いた……コジツキーは、地元の小さな家主で、たしか市参事会の書記の息子だった。本人はどこにも勤めておらず、ぶらぶらしていた。われわれのヴォルガ地方なら「犬の毛を叩いている(のらくらしている)」と言うところだ。父親のところで、どうやら落ちこぼれの立場で暮らし、近所の人たちには「悪い見本」の例になっていた。政治で逮捕されたことがあり、地元の憲兵に目をつけられていた。そのうえ、ここで働いていたエスエルと親しくつながっていて、彼らの運搬に手を貸すこともいとわなかった。彼と一緒に仕事ができないのは明らかだった。そして彼のつながりを利用して、代わりを見つけなければならなかった。コジツキーとはそういうことで話がつき、私が住まいを決めしだい、リヴォフまで行くことを約束した。
この先私は、専門を生かしてゼムストヴォの統計局に入りこみ、そこで新しい地元の基盤をつくりはじめるつもりだった。さしあたりは、肺の病気で、北の気候を南の気候に変える必要がある、という話をつくらなければならなかった。住まいを探すのに、たった二人の、しかも住民の目には評判に傷のある協力者の手を借りるのは、そもそも彼らとの知り合いであることを明かすのと同じく、ばかげていたろう。それで、まったく誰も知らない、ここに来たばかりの人間として、仲介人を通じて動くことにした。幸い、私がホテルの部屋に入るたびに、彼らはひっきりなしにつきまとってきた。
そして、体のあまり丈夫でない、あまり金持ちでもない人間として、私のために、中流の町人の家に、「静かな」、専用の入口のある二部屋が見つかった。中庭に面し、ほとんど貴族会館の庭のなかと言ってよく、昼食と夕食までついていた。
もう3月で、春が始まり、雪が解け、暖かな晴れた日が続いていた。北国の人間にとって、これは気分を高め、精力を生む。仕事がしたくなる。できるだけ早く、できるだけたくさんの仕事が。
4
ドヴォイレツが手紙をよこした。すぐ来てほしいという。誰かが来たのだ。
それはルカ・セミョーヌイチ(原注1)だった。しかも赤い帯のついた貴族の帽子をかぶり、いくらか変装していた。
「どうして? 何の用で?」
「用で来たんじゃない、用を取りに来たんだ。ボリス(原注2)がキエフに荷を取りにやったんだが、そこにはなかった。爺さん(原注3)がこっちへ回してくれた。自分で手に入れて、ついでにうちの分も持ってきてくれ、だとさ。まあいいか、と思ってね。どうせ荷がないあいだは、何もせずにぶらぶらしているだけだから」
(原注1)オゼンブロフスキー。 (原注2)ノスコフ。 (原注3)フレンケリ。
ルカのための荷の受け取りを早められないかを、ゆっくり考えるために私のところへ行った。密輸業者とのつながりはもう回復していた。その一人フォマーがわざわざ町へ来て、町はずれの、建てかけて放ってある丸太小屋のそばで、彼と話をつけてあった。小雨が降っていて、まわりには誰もおらず、話を邪魔するよその目はなかった。連絡と呼び出しの方法を決め、合言葉を定めた。あとは準備するように彼らに知らせるだけだった。私の住まいの条件はうまく整っていたので、もう疑いを招かずに、何日か郊外へピクニックに出かけて姿を消すというぜいたくも許されるようになっていた。
それに、もう仕事を全面的に軌道に乗せなければならなかった。ルカの到着は、直接のきっかけとして、ちょうどよいときに来た。この後押しがなければ、おそらく動き出すまでにまだ何日か支度に手間どっていたろう。今はもう先に延ばすわけにはいかなかった。ルカは私の住まいに残って待つことになった。そしてコジツキーと私は、先に知らせを送り、道中用のパンと猟師用ソーセージを持って、ホティン街道を遠回りして、ドニエストルの渡しへ向かった。対岸で、つまりもう別の県(原注)の領内で、国境の渡り場に近づくためにすぐに方向を急に変えるためである。
(原注)ベッサラビア県。
渡しに着いたのは、まだ暗くなるずっと前だった。だが残りの日は、雨よりむしろ雪を約束する雲に覆われた。冷たいどころではない風が吹いてきた。寒くなった。ドニエストルには白い波頭が走った。渡し船を降りると、水際と、積みあげた丸太の山とのあいだを岸沿いに曲がった。その向こうには急な岸の斜面がそびえ、建物の屋根が見えた。そこには村があったが、その名はすぐに忘れてしまった。丸太のあいだの一つの切れ目で、もう荷馬車をつけた馬が待っていて、私たちがそこに並ぶと、案内人が低い声で呼びかけた。
深い田舎の荷馬車で、道もない森を進んだ。根や木にひっかかり、車輪や車体で茂みをこすりながら。季節は春なのに、秋のように不機嫌でぞくぞくする夕方が迫っていた。裸のこずえで不機嫌な風がひゅうひゅうと鳴り、しゅうしゅうとささやき、もじゃもじゃの雲の切れ端を追い散らし、ぶつけあっていた。そして、早産の子のようにひ弱な、季節はずれに降ったばかりの雪が、まばらな森の空き地にまだらに残っていた。寒さで、話す気にもまわりを見る気にもならなかった。私たちは縮こまり、袋のように動かずに座り、めいめい自分のなかに閉じこもった。
野に出た。森のなかと同じく、やはり道はない。木々がもう風を防いでくれないので、いっそう寒くなった。だがすぐに谷に下り、また少し暖かくなった。今は速足で進み、ときどき速度をゆるめるだけだった。谷底の小川を何度も渡り、こちらの岸、あちらの岸、ときには小川の真ん中を、水のなかを揺られて進んだ。道に出て、柳の下の編み垣のそばで一度に止まった。左には掘り返された畑がゆるやかな斜面になってのぼっていた。右には、脚のない犬のように、編み垣が柳の下に隠れながら走っていた。そして編み垣の向こうの遠くに、漂う夕方の影のあいだで、建物が見えたりまたぼやけたりした。ところどころ、互いに遠く離れて、農家の窓に灯がともった。黒い陰気な夜が近づいていた。
御者は馬をつながずに柳の下の垣根のそばに荷馬車ごと残し、自分は灰色の霧のなかへ向かって、すぐにそこに溶けこんだ。長いこと待った。寒さがしみた。体を丸めて黙っていた。話す気にならず、めいめい自分のことを考えていた。御者が消えたほうを見つめていた。長いこと待ち、もうすっかり凍えてしまった。
「ちくしょう……どこへ消えたんだ?」
「来ますよ……」
暗がりに隠れた農家のほうから、きしむ音とも話し声ともつかない、ちぎれた鈍い音が届いた。濃くなる闇のなかからぼんやりした影が浮かびあがり、それから二つに分かれ、用心深いが速い足音のかさかさいう音が聞こえてきた。雪が動く四本の脚を浮かびあがらせ、二つの胴体を目でとらえることができるようになった。近づいたり離れたりしている。並んで、だが歩調を合わせずに歩くとそうなるものだ。
歩いてきたときと同じく用心深く、彼らは編み垣を乗り越えた。
「こんばんは」
羊皮の帽子がちょっと上に動いて、そのままになった。フォマーが荷馬車のすぐそばまで来た。
「どうしたんだ?……」
「まずい……待たねばならん」
「待つ……なぜだ?」
「伏兵を置いた。うまくいかねえ」
これは計算外だった。期待していた暖かさと休息のかわりに、同じ道を、それも凍えきって夜中に、揺られて戻ることになる。こういう見通しはいらだちと怒りを生んだ。
「伏兵は長く置かれるのか?」
「さあ、誰にわかるかね……一日、二日、三日……」
「あんたたちのところで待とう」
「だめだ。見つかる」
「戻っても見つかる。森番、渡し……それに、戻ったら二日じゃなく一週間むだになる。ここで泊まれるようにしてくれ」
彼らはまちがいなくそうできたのだが、言いのがれていた。困難を大げさに言って、値をつりあげたいのは明らかだった。
フォマーは御者とひそひそ話をした。御者にとっても、未開の土地や谷間を、森のことは言うまでもなく、また揺られて帰るのはありがたくないらしかった。彼はわれわれの言い分が正しいと、なだめるようにフォマーを説いていた。
フォマーがまたわれわれのところへ戻ってきた。
「まあ、いいだろう……こいつのところに夏小屋がある。ただし昼間はどんなことがあっても出ちゃならねえ」
「食わせてくれるのか?」
「それは当たり前だ。ご馳走はねえが、腹を満たすものは見つかる。それに明日には伏兵も引き揚げるかもしれねえ。こんな寒いのに、あいつらだってここで退屈してるわけにはいかねえだろう?」
「話をつけるのに高くつくのか?」
「だめだ。ヴユーン(どじょう)があいつらと一緒にいなけりゃな……ひねくれた男で、犬みてえに干し草の番をしてやがる。まあ明日には引き揚げるさ」
彼はもう自分でも、早く伏兵を厄介払いしたいというわれわれの気持ちに染まりはじめていた。そして明日彼らが去ることを、もう起きた事実のように、ことさら確信をもって話した。私たちは荷馬車から降りて、しびれた脚をのばした。フォマーは最終的に御者と話をつけていた。
「夏小屋へ……カルプのそば……ダニーラの屋敷を抜けて……家の陰で待ってる……」
「かみさんを探せ。見て、やってくれる」
「なんでそうしないことがある?」
御者は荷馬車に乗り、馬を動かして、道を先へ闇のなかへ進んでいった。そしてすっかり闇にまぎれると、そこから酔っぱらいの歌と、言うことを聞かない馬への選りすぐりの説教がとびだしてきた。そしてわれわれ三人は編み垣を乗り越え、黙って一列になって灯のほうへ、だがそれを避けて進んだ。少し左へ寄りながら、灯を通り過ぎて、急ぎ足で歩いた。酔っぱらいの歌はもうどこかで消え、それがどちらから聞こえていたのかさえ、今はもう言えなかった。
6
もう2日、私たちは夏小屋の広い板寝床の上に、窓のない壁とペチカのあいだで寝そべっていた。
空は晴れた。春はまたよみがえり、勝ち誇った太陽が喜ばしげに大地に光を注いでいた。だが伏兵は去らなかった。そしてここは寒く、退屈で、単調で、外の空気が恋しく、動きたくなり、食べる物はなかった。
去年の、茶色くなったじゃがいもに埋もれた手前の隅は、陰に隠れていた。泊まり客のために、昼間は二つある窓のうちの一つの、ごく小さな窓だけが開けられていたが、それは隅の暗さをかえって濃くするだけだった。もう一つの窓は、冬のままに外からフェルトとわらでふさがれていた。破れた革の馬具が戸口のそばの壁にぶら下がり、壊れた首輪が、年老いた乞食のように、裂けた鞍下と突き出たわらを見せびらかしていた。そこにはシャベル、すき、つるはし、かまど用の火ばさみが立てかけられ、斧と、傷だらけのこぶのある大きな丸太が転がっていた。粉とひき割りの入った袋が二つと、その上に防水布がわりにかけた古いむしろの袋が、ペチカとのあいだに、戸口から寝床へ通じる狭い通路だけを残していた。
寝床の上には、羊皮の外套、男物と女物の長上着や毛皮外套、刺繍した頭巾、袖なしの上着、祭り用の手ぬぐいや腰巻きがぎっしりと吊るされていた。そして寝床の隅には、家の羽根枕と、更紗の三角布を縫いあわせたキルトの掛け布団が、ひとかたまりに積まれていた。
寝床のそばには、去年の、ぐにゃりとしたきゅうりと、柔らかくなった酸っぱいキャベツの入った桶が置いてあった。
何もかもが詰めこまれ、放りこまれ、積みあげられていた。そしてこのがらくたすべての上に、一冬じゅうここにたまった、濃く重い空気がのしかかっていた。目の助けを借りてようやく、そのなかから個々の、頭がくらくらするような匂いを区別することができた。羊皮外套、蒸れた馬具、腐ったキャベツの匂いを。
そして私たちは、このがらくたの一部のように、寝床の空いた半分に並んでうずくまって寝ていた。ここに入ってからずっと寝ていて、ときどき、いやいや寝床に立てかけたみすぼらしいゆがんだ机へ這い寄るだけだった。起きる理由はなかった。歩く場所はなく、寝床のほかに座る場所もなかったからである。そしてやはりここに入ってからずっと顔を洗っておらず、夜には靴を脱ぐだけだった。煙で注意を引かないように、ペチカを焚くことはできなかった。そして冬からここに残った寒さは、壁を通して外へ出ていかなかった。それどころか、太陽が明るく輝き、暖かさと清らかな春の空気がはっきりと感じられる外からも、ここへ集まってくるかのようだった。
私たちはもうぼんやりとして、陰気に寝ていた。太陽は外へ誘い、暖かさを約束するのに、ここは死ぬほど寒い。話すことはもうなく、何もかも話しつくした。ずっと眠っているわけにもいかない。
慰めは一つだけ。疑いなく経験が広がることだ。第一に、それは人生で最良の教師である。第二に、その積極的な意味はそれだけにとどまらない。弁証法的な過程は、生活のほかの現象と同じく、ここにも当てはまる。密輸業者の凍えたがらくただらけの夏小屋で、われわれがやむをえず飢え、見捨てられていることは、のちに、われわれの仲間が絶え間ない放浪のなかでしばしば身を寄せなければならなかった、どこかのブルジョアの住まいでの、愛想のよい歓迎や、たっぷりした夕食や、同情に満ちた心づかいの源になるかもしれないのである。
「共鳴する」ブルジョアの家庭は、いつもロマンティックで「思いやり深い」。われわれのこういう寝そべりの話を、よいときに、ふさわしい場で持ち出せば、同情に満ちた心づかいを呼ぶだけでなく、もっと大きな「犠牲」、つまりあれこれの党の事業のための募金にも誘うことができたのである。
夕方になるとフォマーがやって来た。伏兵はまだ引き揚げていないと報告し、渡しのときの自分の手際のよさと運のよさを自慢し、われわれのたばこを容赦なく自分のパイプに詰めこみ、ただでさえ悪い空気をあらゆる手でさらに悪くした。そして「明日はきっと」片をつけると約束して帰っていった。昨日、彼に問題をきっぱりと突きつけた。今日渡すか、さもなければ別の道と別の案内人を探す。
「二日も三日も渡しを待たせるなんて、いったいどんな案内人だ?」
「わしが悪い案内人だって?……一度も誰も捕まらせたことはねえのに、悪い案内人だと? 伏兵ってのはただの兵隊じゃねえ。兵隊だってあいつらを怖がってるんだ……悪い案内人か……いいだろう、危険を冒すんだな。明日には向こう側だ」
「そして明日はまた『明日』だろう……同じ堂々めぐりがいつまでも。むだ口をたたくのはやめろ。払うものは払ってやるからやれ、それができないなら店じまいしろ」
「わかった。明日だ」
そして今日の夕方前、渡しからわれわれを連れてきた主人が寄って、支度をするように言った。渡しの手はずが整ったのだ。
これでわれわれは元気づき、沈んでいた気持ちが持ちなおした。もうすっかりうんざりしていたママリーガと、ひしゃげたきゅうりの夕食を食欲旺盛にとった。そして別れの晩ということで、おかみさんがお茶用に熱い湯の入った大きな壺を持ってきてくれた。
10時ごろ、村の大半がもう眠り、農家の灯がほとんど消えたころに出発した。ときどき夜番の拍子木が鳴り、あちこちで犬がほえた。
外に出ると、春の、濃い、酔わせるような空気が頭を打った。変化があまりに急だったので、倒れないように、また呼吸器が慣れるように、一瞬壁にもたれなければならなかった。
四人が一列になって歩き出した。先頭はフォマー、しんがりはヤーコフ。ビロードのように黒い夜は、空の深い青だけを透かして見せ、探す者も隠れる者も、同じようにいとおしげに隠していた。星は少なく、まるでいつもと違って、はかりしれないほど遠く、暖かく柔らかく光っていた。村は眠っていて、眠りながら息をしているかのようでさえあった。それほどまわりは穏やかで静かだった。
長いこと、初めと同じ順で歩いた。先頭はフォマー、しんがりはヤーコフ。たくさんの果樹園や菜園を通り、編み垣を乗り越え、踏み固められた道を横切った。通りだと考えてよかったろう。まったく話をしなかった。
「シッ……」
みな一斉に、どこかの編み垣のそばにしゃがみこんだ。
あらゆる音が驚くほど細かく聞き分けられる。まるで聴覚器官が外に出てきたかのようだ。それでも近くには怪しい音一つとらえられない。そしてわれわれの用心はまったく根拠がないように思われた。
「どうしたんだ?」
「シッ……犬だ……」
犬はどこか遠くでほえていた。途切れては、またむせぶようにほえ、そのたびに近づいてくる。やがて鳴き声は途切れ途切れに、くぐもって聞こえるようになった。どうやら誰かを見送って戻っていくらしい。すっかり静かになった。ほかの犬たちが寝ぼけてものうげに応え、また何もかも静まった。
さらにしばらく、窮屈な姿勢でしゃがんでいた。
「行くぞ……」
そしてまた同じ順で、同じやり方で動き出した。
深い溝を越えて、どこかの果樹園に入った。背の低いベリーの茂みが規則正しく列をなして並び、同じく規則正しく、大きくない、ずんぐりした木々がわれわれの上にそびえていた。どうやら梨とりんごらしい。その向こうに、黒いかたまりのように建物が見えたが、納屋なのか農家なのかはわからなかった。
フォマーの合図で、またしゃがみこんだ。そしてヤーコフはすぐに、フォマーにどこかへ使いに出され、音もなく茂みの陰に沈んだ。
たばこを吸うことも、話すこともできなかった。そしてもうすっかり静けさに染まっていたので、窮屈な姿勢を変えようという考えさえ、耳を通って意識に入ってくるかのようで、あまりに大きな音に思われた。
ヤーコフは、地面から生えたように、不意に茂みから現れた。どちらから来たのか、歩いてきたのか這ってきたのか、言えなかった。その前にかすかな物音一つ聞こえなかったのである。
「できた」
「全部か?」
「全部」
「櫂は?」
「持ってきた」
「しゃがめ」
彼らはささやき声で話してはいなかったが、ささやき声のほうがかえってよく聞こえたろう。声は押し殺されず、澄んでいたが、唇の上にとどまって、まったく静けさを乱さなかった。フォマーは耳を地面につけて聞いていた。
「行くぞ」
用心深く立ちあがった。だが二、三歩離れただけで、フォマーは茂みの下にかがみこみ、何かを手で探った。それから、かすかな押し殺した音をたてて、薄い枯れ枝の層を持ちあげ、わきへのけた。
「持て」
フォマーの少し前で、ヤーコフもかがみこんだ。そして二人が体を起こすと、その手には小さな丸木舟があった。あまりに小さく、どうやら軽いので、二人ともそれを片手だけで持っていた。
さらに数歩茂みの向こうへ行くと、舟はもう岸に沿って置かれた。川はまったく不意に開けた。近くにあるとは思いもしなかった。数歩のところに座っていたのに、川の涼しさも、空気のしめりけも感じられなかったのである。そして今、川は一度にすっかり開けた。暗い青のつやを帯びた、広いビロードの布のように。対岸には、高い一続きの森とも、互いに溶けあって一続きの列をなす大きな建物ともつかないものが、謎めいて黒く見える。
30秒ほどして、もう一艘の舟が現れ、同じく音もなく岸に沿って置かれた。
「できた」
「行くぞ」
コジツキーが一艘に乗り、私がもう一艘に乗る。座るための細い板は、船尾の漕ぎ手用に一枚あるだけだ。底にじかに座るほかない。
「寝ろ……あおむけに……」
命令しているのはヤーコフだ。文句なく従う。座っているより楽だ。だがそのかわり、安定しているという感覚がまったくなくなる。舟は要するにくりぬいた丸太で、ひどく軽くて揺れやすい小舟なのだ。
子どものゆりかごのなかのように、漕ぎ手が動くたびに揺られながら寝ている。頭はのけぞり、目の前には星空。耳のすぐ下で、舳先が切る水の流れが、かすかに心地よくせせらいでいる。櫂は音もなく水に入り、それが働いていることは、櫂がこちらの体の上を越えて反対の舷へ移され、そこから飛んだしぶきが顔に落ちるときにようやくわかる。
不意に、急に、目の前で星の原がぐるりと回り、逆の並びで止まる。舟が急に向きを変え、同じ方向へ、だが今度は船尾を先にして進んでいるのだ。フォマーの肩の向こうに、暗く高い岸の壁がそびえる。船尾から舳先へ、かすかなきしみが走る。舟は止まった。
「着いたぞ」
ほとんど水際から、細い砂利の曳き舟道を隔てただけで、ガリツィアの高い岩の多い岸がそびえていた。着いた場所からほど遠くない、崖をほぼ半分ほど登ったところに、狭く長い入口をもつ天然の洞窟があった。歯がないために上唇が内側に落ちこみ、逆に下唇が前に突き出て上へめくれあがった口のような形である。そのおかげで、洞窟の入口は水の上からは見えない。そしてオーストリアの国境憲兵が水際を通るときには、洞窟に何でも隠すことができる。われわれが渡ってきた舟もここへ引きこまれた。そしてここで、先へ進む前に少し休んだ。友好的な屋根の下にたどり着くまで、まだ1露里ほど歩かなければならなかった。
フォマーはもう考えていた。
「ヤンは今、家にいるかな……」
「家にいるかなって?……おまえ、合図(原注)を送ったんだろう?」
「それが、いや、間に合わなかった。そのあとは遅すぎて……」
「まったく、何をやってるんだ! 冒険なしではいられないんだな。いつかおまえと一緒に捕まるぞ」
「なあに、そんなやつじゃねえ……家にいなけりゃ、どこにいるってんだ? ほら、探ってみな」
(原注)合図。〔原文「гасло」はポーランド語・ウクライナ語で合言葉・合図の意〕
ヤーコフは頭を突き出して目を凝らし、それから突き出た岩に耳をつけた。
「大丈夫そうだ」
「よし、行くぞ。おれたちが戻る時間があるように」
水際へ降り、初めは岸のすぐそばを歩いた。それからゆるやかに登りはじめ、いちばん上の、平らでなだらかな野原に出た。もう小さな町のすぐ近くだった。
ヤンは家にいた。そして半時間後には、もう荷車に揺られて街道を駅へ向かっていた。そしてその日のうちにリヴォフに着いた。
リヴォフでは、満月の前に家に帰るために、2日ほどで用をすませるつもりだった。そうでないと国境を越えるのが難しくなる。だが2日のかわりに1週間近くとどまらなければならなかった。ここには十分に整った国境の倉庫はなかった。おそらく、ドイツ国境でもオーストリア国境でも、ほかのどの拠点にもなかったろう。この仕事に引き入れられていたロシアの亡命者、主として学生の若者たちは、当時も、それ以前のいつも、とくに実際的ではなかった。故国にいたときからいつも彼らの特徴だったインテリのだらしなさは、ここではさらに強く現れた。民主国家の「自由」と、常に存在する「憲兵の危険」がないことが、働き手たちをすっかりだらけさせていた。そして秘密の仕事で、故国にいたときに思わず身についていた警戒心、正確さ、明快さは、ここではゆるみ、失われ、これもまた思わず、ありふれた市民のずさんさに取って代わられていた。それに党には、非合法の運搬の必要だけに専用でこたえる倉庫を組織するだけの資金もまだなかった。
ロシアへ持ちこむためのわれわれの文献は、ありとあらゆる組織があらゆる用途に使っている場所に保管されていた。そこには、リヴォフで合法的に存在していたウクライナ社会民主党の文献もあり、個人が預けていった本もあり、不在の同志のあれこれの私物さえあり、まったく輸出用でない印刷所の備品もあった。しかも、荷の選別と荷造りにわれわれ自身が加わるのは、秘密保持上の理由からあまり都合がよくないとされた。そしてわれわれは彼らに同意し、この仕事を専門に担当している同志に任せるほかなかった。
われわれが着いたのと同時に、ジュネーヴから文献の郵便小包が届き、ついでにそれを郵便局から受け取ってくるようにわれわれに頼まれた。行ってみた。聞けば、5キロずつのわれわれの包み二つが、郵便局で開けられていた。重さと大きさから、関税を払わずにバターを送っているのではないかと疑われたのである。それにリヴォフ市当局は、そういう持ちこみにさらに独自の税をかけていた。
開けられた包みをわれわれに見せ、包装に記された中身と実際の中身が合わないので、調書をつくって罰金を払うようにと言った。そして、不意をつかれて口をあんぐりあけたわれわれを包みの置かれた机の前に残して、役人は用紙と立会人をとりに離れていった。
われわれは顔を見あわせた。
「ずらかるか?」
「悪くないね」
「持っていこう」
コジツキーが立ちあがって包みの一つを小わきに抱え、私がもう一つを抱えて、無事に出ていく。辻馬車に乗り、にぎやかな広場の一つで降りて、住まいまでは歩いていく。
小包に入っていたのは『エルフルト綱領』と、カウツキーの『社会革命の翌日』だった。そしてこの獲得物は、すぐにほかの文献と一緒に荷造りするために倉庫へ送られた。
出だしは悪くなかったし、終わりも悪くなりそうになかった。ここでわれわれをたいへん温かく迎えてくれた同志たちは、われわれに材料をどっさり持たせたいという強い望みを示し、この課題を果たすのに、まったく心からの、大きなせわしさを見せた。そしてそれが実行に移されるあいだ、ロシアで何が起きているか、どんな気分か、第2回大会後の分裂にどんな態度がとられているかを聞くために、われわれを我先にあちこちへ招いた。
この最後の点では、たいへん慎重でなければならなかった。比較的短い経験にもかかわらず、われわれが置かれたこの環境では、あからさまで鋭い意見の対立が、今日の「運搬」の関係の断絶にさえつながり、少なくともわれわれの特別な課題の遂行に支障をきたしかねないことは、まったく明らかだった。それで私は、言いのがれの戦術をとった。主に話をしなければならなかったのは、「バスク」ことエリネフスキー、「リョーフカ」(姓は忘れた)、そしてもう一人、やはり姓は覚えていないが、帝国主義戦争の初めに、エリネフスキーと一緒に、オーストリア政府と交渉した最初の社会排外主義グループのなかに名の出た人物だった。彼らはみな1905年にはスピルカの非常に有力な活動家になった。そして彼らの超メンシェヴィキ的な傾向は、リヴォフでのわれわれの話のときにもう目についた。
身内のボリシェヴィキには、そこではまったく会えなかった。そしてこれには落胆した。この小市民的なごった煮の外で事業を据えるための取り決めをする可能性が失われた。渡し全体をしっかりと結びつけるためにこの来訪を利用し、同じ目的のための再訪の必要をなくすという望みが消えた。というのも、このままでは続かないことは明らかだったからである。倉庫のサービスを断られるだけでなく、その中身の引き渡しも断られ、われわれが整えつつある道筋を乗っ取られることさえありうる時期が熟しつつあった。そしてここには、この拠点はウィーンに住むマリツマンが担当しているという、「クジマー」(グサロフ)から得た情報のほかには、まったく何のつながりもなかった。しかも彼の住所さえ持っていなかった。もちろん彼を探しだしてウィーンへ行くこともできたろう。だがそのための金がなかった。ジュネーヴへ行くことなど、なおさら考えるだけ無駄だった。
この熱に浮かされたような(日々は過ぎていった)出口探しのなかで、私は最後の手段にしがみついた。郵便で事態を知らせるために、『イスクラ』の国外発送部の住所を使うことである。だが話によると、『イスクラ』はもうメンシェヴィキに握られており、つまりボリシェヴィキの困難を彼らに知らせるのはまったくばかげていた。だが古い『イスクラ』には、国外とのやりとりのためにウラジーミル・イリイチの住所が載っていた。プスコフでの実務から、暗号通信の鍵を覚えていた。そして、神に祈って、この最後の手段を使うことに決めた。手紙はロシアからと同じく二炭酸鉛で書かれたが、『イスクラ』に印刷された住所、つまり合法的なやりとりのための住所に送られた。この矛盾に気づいたのは、ずっとあとになって(もうサマーラで働いていたとき)ノスコフから、この手紙が、私には思いがけない、だがもちろんまったく当然の印象を与えた、つまり挑発と受け取られた、と聞いたときだった。
リヴォフに滞在した1週間の終わりに、荷の選別と荷造りが終わり、かなり重い箱二つと小さなかご二つという形で、駅でわれわれに渡された。
手荷物として預けたのは、リヴォフへ向かうときに乗った渡し場にいちばん近い駅ではなく、その隣の駅で、そこにヤンが馬を連れて迎えに来ることになっていた。
旅が完全には成功しなかったことが、やはり気になった。倉庫の分派的なあいまいさが不安で、今後の仕事に何の保証も約束しなかった。もっとしっかり軌道に乗せるために、また来なければならないことは、もう疑いなかった。それとともに、この事業全体をきちんと整える見通しも遠のいた。私の連れは、ときおり仕事をしていただけなので、事の、この面にあまり注意を払わず、それに、私がもう気づいていたウクライナ人との親しさからしても、十分に信頼できる同盟者とは思えなかった。それで道中ずっと、めいめい自分のことを考えながら黙っているか、まったく関係のないことについてときどき言葉を交わすだけだった。
そして、帰りが遅すぎたのではないかという不安が、しつこく浮かんできた。満月はもう来ていて、国境を越えて家に帰るのは難しくなっていた。まして密輸業者は向こう(ロシア)側から呼ばなければならず、つまり、彼らがドニエストルのオーストリア側の岸にいる場合の倍の時間が渡しにかかる。そして家ではルカが待っていて、その彼をキエフでも待っている。それに、私が長く住まいを留守にしていることが疑いを招くかもしれない……
7
まるでこの悲しい思いに答えるかのように、駅から彼の家へ向かう途中で、ヤンも口を開いた。
「ゆうべはもう月が川をのぞいてた。今夜はもっと早く出歩くよ」
「フォマーは来たか?」
「木曜日に来た。あんたたちが戻ったら合図をよこせ、と言いつけていった」
これはいくらかの希望を生み、うまくいけば、やりとげたことにいくらか満足できることを約束していた。いつもこうして、都合のよい偶然を当てにしなければならなかった。それらをすべてうまく合わせたかった。そうでなければ確信も、やりとげたことへの満足も、休息もなかった。疲れさせるのは仕事そのものではなく、その合間、不安と心配に満ちた仕事と仕事のあいだだった。偶然を合わせるための細々とした気苦労が疲れさせた。偶然を合わせる、というこの論理的にばかげた状態が、実際にはふつうのことだった。いつも退路はなく、いつも切り抜け、論理と摘発のあいだで、だがもうまったく論理的でない意味で、綱渡りをしなければならなかった。
夕暮れに着き、ヤンはすぐに「合図をよこした」。1時間後にルカとヤーコフがやって来て、急かしはじめた。
「月が早く出る、それまでに片づけないと」
「どれだけ持っていける?」
「運べるだけ。ただ、持ちやすいとありがたい」
かごを渡した。
「で、明日は?」
「明日はあんたたちを渡す。残りはあとで、月が欠けてから」
彼らは溶けるように去っていった。戸と窓の向こうはそれまでと同じく静かで、かすかな物音一つ聞こえなかった。
夕食後、もっと扱いやすい包みに詰めかえるために箱を運びこんだ。同時に、旅がどんな貴重品をもたらしたのかを見るのもおもしろかった。
そして箱を開けたときのわれわれの失望と当惑は、想像しがたいほどだった。そこに入っていたのは、ドイツ語、ポーランド語、ウクライナ語の本、医学の教科書、日常の古雑誌、そしてとうとう頭蓋骨の模型。だがわれわれに必要な、そのために時間と金を使ったものとは、まったく、まったく違うものだった。倉庫から、不注意で、明らかに他人のものを渡されたのだが、それでまったく気が楽になるわけではなかった。
「ばかどもめ、3か月に一度のこんなつまらないことさえ、まともにできないとは」
「ロシアにいれば、彼らもこういうことからは守られていたろうが、ここでは自分の習慣と向きあわなければならない。それで正体が出るんだ……」
気分はすっかりだいなしになった。黙って、いやいや夕食をとった。そしてまったく空気のない小さなあばら家で、主人の家族と一緒に寝床に入ると、息苦しさと失敗の意識とで、たまらなくなった。
私が長椅子に寝ていたそばの、たった一つの小さな窓は、満月にこうこうと照らされていて、いっそう神経をいらだたせ、眠りこむのを妨げた。
窓ガラスを軽くたたく音。
「まさかフォマーか?……」
頭をもたげると、すぐにそんな推測のばかばかしさに打たれる。窓から遠くないところに立っている二つの人影が、なんだか余計で不要なものに見える。そしてその一つに、真鍮のかぶとが鈍く光っている。
「憲兵か?……」
眠っているふりをして、主人が起きるに任せる。
ノックがまた、もっと大きく、しつこく繰り返された。ヤンが寝床の上で身動きし、眠っている人々のばらばらな寝息が聞こえた。ヤンは窓のところへ来て、私の肩を探りあてた。
「憲兵だ」
「見た。たぶん入れなければならないだろう」
彼らは黙って入ってきて、戸口に立ちどまった。ヤンはマッチを見つけてランプをともした。
「皆さん……」
脚に触れられるのを感じる。目を覚まさない。もっとしつこく触れられる。目を覚ましはじめる。
「皆さん」
「何のご用です?」
「服を着て、司令官のところまで一緒に来てください」
「ご存じなら、何のためか教えていただけませんか?」
「残念ながら、何も申しあげられません」
あわてずに服を着る。そして、こういう場合ロシアの故国ではいつも感じる、あの卑屈な感じさえなしに。
「お持ちの物はありますか、皆さん……」
「少しは」
「このトランクは?」
「われわれのです」
憲兵はマッチをすって、戸の外をのぞいた。
「で、箱は?」
「それもわれわれのです」
「それも持っていってください。馬を用意しろ」
ヤンは馬をつけに行った。
15分後、月光に照らされた村の街道を出発した。先頭は小さな手提げかばんを持った憲兵、しんがりは村長と馬を連れたヤン。
国境の兵舎は近かった。そして大きな明るい部屋に入ると、憲兵はわれわれを、出迎えに出てきた上官に引き渡した。上官は箱もここへ運びこむよう命じてから、ていねいな身ぶりでわれわれに隣の部屋への入口を示した。
「どうぞ。少しお待ちいただかなければなりません。司令官殿は用事で出かけておりますので」
彼はほとんど気づかないほどのポーランドなまりのあるロシア語で話した。そして公式の、礼儀正しい口調にもかかわらず、その目は人がよく、同情的だった。そして逮捕者というより、むしろ客のようにわれわれと話した。
彼のあとから、細長い事務机のある大きな部屋に入った。新しい丸太の壁、白いタイルの暖炉、白く洗いあげた床と細長い敷物、暖かく、明るく、まったく兵舎らしくも事務所らしくもない雰囲気。あらゆる不安がたちまちどこかへ消え、われわれはまったく心から「家にいるような」気持ちになった。
「どうぞ、どうぞ……」
近寄ってきた二人の兵士がわれわれに椅子を勧め、一人がたばこ入れを差し出す。まったく客に来たように、儀礼をつくして。
「教えてください、どうしてこんな光栄にあずかったんです?」
「ああ、ご心配なく。酔っぱらったロシアの密輸業者が、ここで盗みを働いたんです。逮捕されました。そして、あなた方がここに隠れていて、ロシア向けの社会主義の本を持っている、と言ったんです」
「それで、われわれをどうするつもりです?」
「ああ、何でもありません。司令官殿があなた方にたずねて、本当でなければ、放してくれます」
「本当だったら?」
彼はほほえんで、肩をすくめた。
「そのときは……わかりません」
司令官が戻るころには、われわれはもうすっかり状況に慣れ、上官と話がついていた。聞けば、彼は長くワルシャワに住んでいて、ロシアの学生が「好き」だった。どうやら、われわれのことも学生として見ていたらしい。それに反論したり、思いちがいを正したりする理由は、われわれには何もなかった。彼の話では、「去年まで」は、ロシアへ国境を越えて本を運ぶことは「大目に見て」いた。だが去年、オーストリアはロシアから、マケドニアでの行動の自由を取りつけた。そしてそのかわりに、「社会主義の本から」国境を厳しく守らなければならなくなったのだという。
まさにその分野の新刊でいっぱいのわれわれの小さな手提げかばんは、司令官が戻るまでに、思いがけない友人の外套の下に消えていた。しかも、居合わせた兵士たちの、無言の、だがまったく明らかな同意のもとに。そしてわれわれは心から、他人の箱をよこしたリヴォフの倉庫を、心のなかで赦免した。
司令官との短い、そっけない話。質問、答え、箱の中身の表面的な点検。そしてまた元気を取り戻したヤンが、箱を荷車に積んで、元の場所へ運んでいく。この冒険は、予想できたよりもおもしろいものになった。そしてわれわれは、興奮して陽気に、帰り道でそれを思い返した。
途中で上官がわれわれに加わり、手提げかばんを返して、家まで送ってくれる。だがここでも、すぐにわれわれと別れたくはなかった。ポケットにはもうワインが一本入っていて、それは「楽しいお近づきのしるしに」「ぜひとも」飲みほさなければならなかった。彼が帰ったのは明け方近くで、別れぎわに、早くここから立ち去るように忠告していった。
「密輸業者か、ほかのロシアの百姓が、また何かしゃべるかもしれません。ロシアの百姓は口が軽くて、聞かれもしないことをいつもしゃべるんです」
この警告がなくても、もう立ち去らなければならなかった。ヤンは大家族で、小屋は小さい。狭く、息苦しい。われわれは明らかに余計者で、目の上のこぶだった。ヤン自身は愚かでない百姓で、金のためというより同情から助けてくれていたが、女房は、よそ者がこんなに長く、危険をもたらしながら居座るのを、あまり愛想よくは見ていなかった。それは考えに入れなければならなかった。
8
朝から「外国」旅行の準備にかかった。ただし今度は逆方向、故国へである。ルカとヤーコフを当てにするのは危険だった。月はもっと早く出るはずで、たそがれはせいぜい1時間しかなかった。
町の、ドニエストルとは反対側の郊外を見てまわった。そこにはドニエストルの支流の一つ、ズブルチ川が流れていた。小さな川で、大きな小川といった程度だった。人目につかない場所と都合のよい瞬間を選べば、歩いて渡ることができた。そしてそれは、あらゆる物が人の目に惑わしの形をとるたそがれどきにするのがよかった。
茂みや窪地に身を隠しながら、岸全体を歩きまわり、対岸を注意深く調べた。向こうは何もかもが穏やかで平和だった。子牛が草を食み、百姓たちが畑へ出ていき、村のそばでは鶏がこっこっと鳴き、すそをからげた女たちが水を汲みに岸へ駆けおりてきた……敵意や警戒のかけらもない。長靴を脱いで、好きなところを渡ればいい。どんなに目を凝らしても、見張り小屋一つ、哨所一つ見えなかった。それでも、すぐに行きたいという誘惑はこらえた。だが場所は決めた。そしてその近くで2時間ほど寝そべって、何か都合の悪い兆しが近くに現れないかを観察した。その場所は、まったく人が来ないように見えた。
昼食までにヤンのところへ戻り、最後の言いつけを残した。フォマーとヤーコフが来たら、古い蓄えと、今度われわれが手で持ってきたものを渡すように。この古い蓄えは、ほぼ4か月のあいだヤンの脱穀小屋に隠されていたもので、『イスクラ』の20番台の号だった。ヤンはもう、それが自分のところから引き取られるという望みを失っていた。そしてわれわれが来る少し前から、それでペチカをたきつけはじめていた。今度はそれを禁じられ、それをロシアへ運ぶことになった。
われわれ自身はまったく身軽に、手に何一つ持たずに出かけた。持っていた住所さえ処分した。どんな偶然が起きるかわからない。
そしてヤンと別れるときになって、彼はなんだか表情を曇らせた。
「もう少し待ってもいいのに」
「いや、もう行くよ」
夕方まではまだ長かった。そして朝寝そべっていたのと同じ茂みの下で、まだ何時間も「観察」しなければならなかった。日はゆっくりと沈んでいった。川から茂みを通って、早春の冷たい流れが這ってきた。暖める光はもう一筋もここへは届かなかった。ただ耐えて身を縮め、時間をつぶし暖かさの幻を呼ぶために、果てしなくたばこを吸うほかなかった。
「早く出すぎたな。待たなければ」
「もうすぐだ」
少しずつ向こう岸の畑は人けがなくなった。一か所だけ、空になった荷車に熊手や干し草用のフォークを投げこみ、そのまわりで少年少女たちがうろうろしていた。まわりの自然が静まっていくせいでも、仕事が終わって休息が待っているせいでも、声はより大きく、よりはっきりと響いた。
日はもう沈み、茂みのこずえだけを光でなでていった。そしてすぐに反対側に、まだ青白い、透きとおった月が見えてきた。そして最後の荷車が、まわりに集まっていた皆を乗せて、がやがやと笑いながら村のほうへ向かった。
「さあ、時間だ」
川へ降り、最後にあたりを見まわして、長靴を脱いだ。まだすっかり解けていない地面が足を焼いた。
「斜めに、流れに沿って、あの茂みへ!」
茂みのそばで岸に上がって靴をはきはじめたときになって、初めて水がどんなに冷たかったかを感じた。足はすっかり青くなって感覚を失い、言葉ははっきり出ず、唇が震え、歯ががちがち鳴った。
「まっすぐ道へ……」
そして開けた場所を、速く、大またで歩きはじめた。すぐに体が温まり、楽になった。これからの20露里は、まったく何でもないように思えた。家と休息は、さっきの対岸よりも近く感じられた。
ここは、茂みの下から見ていたときに思ったより明るかった。道は畑の背のいちばん高いところを通り、前方の谷のそばで消えていた。
小高いところで、向こうから馬が現れ、思わず身を引きしめ、顔を見あわせた。だが歩みは続け、ただ足取りを落ち着いた、ゆったりしたものに変えた。
「どうやら遠くの畑から帰ってくるところだな」
長い荷車が速足でやってきた。そして車輪のあいだに、何本かの脚が横から垂れていた。まわりには茂み一つなく、身を隠すものは何もない。そして後ろには、川に囲まれた袋小路に、村と、その底に国境哨所がある。そしてわれわれはちょうど、この罠から出ようとしていたのだ。
荷車はすれちがい、止まらなかった。だが通り過ぎると、道の反対側に、短剣とホルスターをつけた灰色の人影が残っていた。
「あんたたちはどこから来たんです、旦那方?」
問いは半ば役人ふうだったが、自信がなく、しっかりしていなかった。プリシベーエフ式の厳しさは聞きとれなかった。
「散歩してるのさ、おじさん」
「いや、でも……どこから来たんです?」
「おまえが行こうとしているのと同じところからさ」
われわれは止まらない。彼は立ったまま、何かを考え出そうとしているか、答えを待っているかのようだ。それから急にわれわれのあとを追い、同時に荷車のほうを振り返って、止まるように手を振る。
「いや、待ってください……そうはいきません。あんたたちが誰か言ってください」
「神の子さ、おまえさん、それに父と母のね。何をからむんだ。旅券でも見せろというのか……? え?……」
われわれは止まった。彼もわれわれの前で止まり、どうやら、どうしたらいいのか、われわれをつかまえるか、助けを呼ぶか、それとも何か別のことをするか、わからないらしかった。荷車も止まって待っていた。
「通行証を持っていなければいけません。見せてください」
「それならもっと早く用件を言えばいいのに。ぐるぐる回りくどくしてないで」
コジツキーがポケットから金貨を一枚取り出し、指のあいだでくるくる回した。
「だって勤めなんですよ、旦那方。わしが自分で……わしは別に……」
「ジュヴァネツまで行くつもりだったんだが、右へそれてしまってね。今から引き返さなきゃならないんだ」
「それなら、すぐそこの谷を越えればいい。少し行くと道が分かれるから、右へ行けば突き当たりますよ」
彼は落ち着いて、身なりを正した。自分で案内したいが時間がない、とでもいうような話し方だった。
あたりを見まわした。
「いや、これはいけません、旦那方。わしらは勤めで、賄賂は許されていないんです。言ってください、あんたたちは何者です?」
われわれが後にしてきた村のほうから、畑じゅうに散兵線を広げて、騎兵たちが全速力で駆けてきた。
「やっぱりな、あんたたちが川を渡るのを見たんですよ……それなのに『散歩』だなんて。あの連中が出てきたのも当然だ」
顔を見あわせて、悟った。逃げても無駄だったろう……まわりは何もなく開けていて、騎兵はすばやく近づいてきた。まっすぐではなく、側面の者が閉じる輪で取り囲むように近づいてきた。
最初に乗りつけたのは、どうやら上等兵らしく、すぐそばに止まった。
「さて、どうなんです、旦那方?」
「こいつらはわしがつかまえました。歩いていて、見ると、こいつらが川を……」
「おまえがいなくても逃げられやしなかったさ。百姓が駆けこんできて、息を切らしてるんだ。それでおれたちは、すぐに全速力で」
兵士たちは一人ずつ乗りつけてきた。物珍しそうにわれわれを頭のてっぺんから足の先まで眺め、あぶみや馬のたてがみを直した。その顔には怒りもいらだちもなく、落ち着いていて無関心だった。ただ好奇心が、それもなんだか鈍く無関心な好奇心が、目に浮かぶだけだった。
「さあ、戻るぞ、全速力で!」
われわれを取り囲み、並足で村へ向かった。
9
その先は、なるべくしてなった。急いで(全速力で)哨所からジュヴァネツへ「大尉」を呼びに使いが出された。大尉は、もう夜だったが、どうやら「重大な」捕り物を当てこんで、すぐにやって来た。だが、カーメネツ=ポドリスクで登録された旅券があり、秘密活動や政治を思わせるものが何もないことに失望した。
「通行証を簡単に手に入れられるのに、なぜそれなしで外国へ行ったんです?」
「通行証があったら、密輸業者と一緒のときほどおもしろくなかったでしょう」
「でも、なぜ今はその密輸業者なしで?」
「月が……」
「なるほど……」
これで尋問は終わり、大尉は、明日われわれを彼の駐屯地ジュヴァネツへ連れてくるよう命じて、帰っていった。彼にとっては、われわれから見つけられたわずかな材料(われわれは用心深く、まったく何も持っていなかった)では、われわれを放して、国境越えの罪でこれこれの条文によって訴追するよう区の治安判事に通知するしかないことは明らかだった。その条文の罰は、最高で1週間半の拘留か15ルーブリの罰金だった。憲兵の習慣で、彼はそうせず、われわれを判事のもとへ直接「送り届ける」役を自分で引き受けた。そしてそのあと、余計な手間をかけさせたお返しに、われわれをカーメネツ=ポドリスクへ、つまりたった18露里の道のりを、「護送方式で」送ったのである。
その夜は、ここの哨所の兵舎で泊まらなければならなかった。そしてわれわれを寝かせた寝台の持ち主の兵士たちが、見張りの装備を全部身につけ、弾をこめた銃を持って、われわれのそばで番をしなければならなかった。
もっとも、これで兵士たちとの関係が悪くなることはまったくなかった。彼らはわれわれにとても気さくに、人よく接した。お茶を飲ませ、食べさせ、ふつうに、人間らしく話をした。そして、彼らの生活の規則や決まりについてたずねても、まったく警戒もせず、隠しもしなかった。彼らは鋤の後ろからいきなりここへ連れてこられる。それも必ず辺鄙な田舎の片隅からである。ほとんど全員が字を読めない。そしてそれは、どうやら欠点ではなく長所と見なされているらしい。
「無知な人間は、何でもする。親父もおふくろも売る」
「仲間どうしでは?」
「そりゃ言うまでもない……互いに食いあい、互いに見張りあってる。ひどいもんですよ、まったく。
たとえばわしとこいつは、カルーガの出だ。それにカザンのやつら、疥癬持ちのタタールもいる。ポルタヴァのやつ、ずるがしこいウクライナ人もいる。退屈しのぎにからかいあい、ときには取っ組みあいになる。見張りのときだって、密輸業者より仲間のほうを恐れなきゃならない」
朝、われわれは「村人の」荷馬車に乗せられ、三人の歩哨とともにジュヴァネツへ送られた。そこから十人長と一緒に近くの郷役場へ。着いたのはやっと夕方で、そこで一晩「冷え部屋」に閉じこめられた。それはふつうの、半ば壊れた蒸し風呂を「留置所」に仕立てたものだった。床も腰掛けもすっかり取りはずされ、ただ一つの窓には格子がはめられていた。座る場所も、ましてや横になる場所もなかった。そして一晩じゅう、壁に肩をもたせかけたり、しゃがみこんだりして凍えなければならなかった。朝には、寒さと疲れと不眠で、もうやっと立っているありさまだった。
村は農作業の時期だった。肥料を運んでいた。だからわれわれを町まで送る百人長が見つからなかった。彼が現れたのはやっと昼食どきだった。だが彼もこの季節はずれの旅を逃れ、背が高く陰気なウクライナ人の老人である役場の番人と話をつけた。この老人とは、われわれが冷え部屋で凍えながら、ペチカを焚いてくれ、横になるためにせめてわらを少し持ってきてくれと頼んだ夜から、もう知り合いだった。
「わらなんぞ何になる? これで十分上等だ!」
彼は、どんなに頼んでも約束しても、まったく動じなかった。そしてわれわれが彼とまた交渉しようとときどき戸をたたくと、彼は目を覚まして「たたけ、たたけ」と言い……また静かになった。こうして彼からは何も得られなかった。
だが彼の手助けに、若者が一人われわれにつけられた。彼は、どうやら、仕事のかわりに「町まで」ぶらぶら出かけられるのがうれしいらしかった。
村を出ると、野原で少し人心地がついた。もう3月の終わりで、太陽は夏へと向かっていた。かじかんだ手足がほぐれた。不眠の疲れも忘れたようだった。大きな街道、木々の芽、乾いていく地面、畑で始まった仕事、そのすべてが心をかきたて、元気づけた。知らず知らずのうちに、早く家に着こうと足を速める。初めは元気に後ろを歩いていた老人が、遅れはじめた。そしてますますたびたび後ろから聞こえてきた。
「ゆっくり……」
だがわれわれは、まるで関係ないかのように歩きつづけた。冷たく眠れなかった夜の仕返しをしてやろうという、意地の悪い考えもあった。
町から帰ってくる何台かの農民の荷馬車と並んだ。老人は彼らに向かって言った。
「助けてくれ、みなさん! このいまいましいモスカーリ(ロシア人)どもが逃げようとしてるんだ……」
百姓たちは荷車から飛び降り、まぎれもない意図をもってわれわれを取り囲んだ。だが拳は振るわれなかった。そのかわり、コジツキーと私は老人の帯で片手ずつ縛られ、もう一方の端が老人に渡された。
「連れていけ……」
われわれは辱められた。いまいましい老人は、少し歩いたあと、さらにこの恥を上乗せした。帯のもう一方の端を持っているのは自分の沽券にかかわると考えたのである。それで、若者の手を借りて、その端を使ってわれわれの縛りをさらにきつくした。そして自分は落ち着いて後ろを歩き、手助けとひそひそ話をしたあと、書類のなかからわれわれの「送致書の封筒」を取り出して、それを少し破った。「書類を奪うためにわれわれが彼を襲った」ことにする芝居が準備されていたのである。
歩くのはひどく不便だった。背丈が違うので、一人はほとんどずっと肩を持ちあげて歩かなければならなかった。きつく縛られて腕がしびれた。でこぼこの道、ところどころの水たまりと春のぬかるみが、歩くのをひどく難しくした。歩調が乱れ、互いにたえず引っぱりあうことになった。この屈辱的な立場は、いまいましい老人への、無力な、そしてそれだけにいっそう激しい憎しみをかきたてた。道では向こうから、町から帰る農民がほとんど切れ目なくやって来た。そしてわれわれが抗議すれば、ずる賢い護送役の新たな悪だくみを呼び、もっと悲しい結末になりかねなかった。それでつらい運命に従い、うなだれて街道の端を歩いていった。
町に入るとき、彼はわれわれの縛りをほどいたが、それで彼がわれわれの目によく見えるようになったわけではなかった。
郡警察では、われわれが連れていかれたとき、上役はもう帰っていた。つまり明日まで待たなければならなかった。地下の監房へ連れていかれ、誰もいない汚い一室に閉じこめられた。どんな抗議も役に立たなかった。
「明日調べる」
「でも、われわれは判事のところへ送られることになっていて、判事ならすぐに釈放してくれるんだ」
「どうしようもない」
そして私が監房で抗議のために戸をたたいて騒ぎはじめると、その音は、どうやら巨大で、まったく生気のない地下室じゅうに、雷のような不吉な響きとなって転がった。どこからか、音もなく、恐ろしげな顔つきの巡査がのぞき穴に近づき、かすかに力をこめて言った。
「たたけ、たたけ……」
それきりわれわれはたたく危険をおかさず、すっかりおとなしくなった。幸いここには少なくとも板寝床があり、前の晩と恥ずかしい旅の疲れを休めることができた。
だが翌日、われわれは判事のところではなく、憲兵局へ送られた。そしてそこからようやく判事のところへ行き、判事はわれわれに旅券を返し、1週間後に審理を指定して、どこへでも好きなところへ放してくれた。
こうして、3、4日のかわりに、われわれのオデュッセイアは2週間近く続いた。私の家主の女主人はもう心配しはじめて、警察に届けようとしていた。ルカが思いとどまらせた。だが私の住まいで誰にも「知られていない客」である彼の立場も、あいまいなものだった。そして彼はもう、手ぶらでキエフに帰ることを考えていた。
今、彼は少し元気を取り戻した。女主人も喜んだ。過ぎてしまったことは、いつも説明しやすく、簡単になるものである。
だが、われわれの災難はこれで終わらなかった。ルカと私が十分に知らせを交換する間もなく、店で何か買おうと家を出たとたん、ドヴォイレツに出会った。彼はわれわれのところへ急いでいて、もう間に合わないのではないかと恐れていた。コジツキーは、家で服も脱がずに、すぐに友人のエスエルのところへ行った。長い留守の埋め合わせに、自分の災難の話を聞かせるためである。ところがこの友人はちょうどそのとき、国外からの荷を農民の荷馬車で受け取ったところだった。そしてその荷馬車を中庭に引き入れ、干し草の下から文献を取り出しはじめたとたん、国境からずっとその荷馬車をつけてきた変装した警備兵たちに囲まれた。
こうして、コジツキーが国境を越えたことと、今ここにいることとのつながりは、憲兵の目には何の疑いも解釈の余地もなかった。彼はこのごたごたに、彼らの考えでは中心人物、「事件全体の首謀者」として巻きこまれた。この前提から、私についても当然の、論理的にそれに劣らず正しい結論が出てくる。立ち去らなければならなかった。それもぐずぐずせずに。せめてエスエルの事件に巻きこまれないためだけでも。
そしてルカと私は、もう私の住まいには戻らなかった。
V. ソコロフ
訳注(国境)
- 本章は時期的には北部ビューロー(1903〜04年)の途中、1904年春の出来事で、東部地区の章の冒頭にいう「カーメネツ=ポドリスクでの摘発」と、南部ビューローの章の冒頭のキエフでの放浪の直前にあたる。
- 節番号は、テキスト層では「1」(「Ц」と誤読)、「2」「3」「4」「б.」「7」「8」「9」と読める。「б.」は「6」と解し、「5」はテキスト層に見当たらない。
- 「ゼムリャチカ」はR. S. ゼムリャチカ(当時モスクワで活動したボリシェヴィキの女性指導者)。
- 「クドリン」の逮捕で途絶えていたカーメネツ=ポドリスク経由の運搬路を再建するのが任務だった。
- **第7節で迎えに来た人物について。**原文は「Лука и Яков」(ルカとヤーコフ)だが、ルカはこのときカーメネツ=ポドリスクの「私」の住まいで待っており、国境の向こうに来るはずがない。直前でヤンが「フォマーが来た」と言っていること、第8節でも「ルカとヤーコフを当てにするのは危険」「フォマーとヤーコフが来たら」と揺れていることから、原本の誤植または著者の記憶違いと考えられる。訳文では原文どおり「ルカ」とした。
- 「スピルカ」は1904年末に結成されたウクライナ社会民主同盟。のちに第一次大戦初期にオーストリア政府と協力した「ウクライナ解放同盟」の創設者たちと重なる。
- 「二炭酸鉛」は原文「двууглекислым свинцом」。秘密通信の隠し書きに使った薬品の名称として原文のまま訳した(技術的な補足はしない)。
- 「ズブルチ川」は原文では「Обруч」(オブルチ)と読めるが、ロシアとオーストリア(ガリツィア)の国境をなした川としてズブルチ(Збруч)と解した。
- 「マケドニアでの行動の自由」は、1903年のミュルツシュテーク協定でオーストリアとロシアがマケドニア改革に共同で関与したことを指すと思われる。
- 「プリシベーエフ」はチェーホフの短篇『下士官プリシベーエフ』の主人公で、おせっかいな小役人根性の代名詞。
- 「モスカーリ」はウクライナ語でロシア人を指す蔑称。
- 本章の末尾はPDF150頁で、署名は「Я. Соколов」と読めるが、「В. Соколов」の誤植と思われる。