昨日「Iskra Archives」を作りました。
「イスクラ・アーカイブ」は、ボリシェヴィキ関連の文書や回顧録を日本語に翻訳して、保存・公開するためのサイトです。
これまでnoteに上げていた「過去より」をこちらに移しました。あわせて、新たに二編を追加しています。
始まりは風邪の日
9月20日、風邪をひいて、やることがなく寝込んでいました。そのとき、ふと「ボリシェヴィキの名もない革命家の回顧録って残っているだろうか?」と疑問に思って調べ始めたのが、すべての始まりです。
そこからボリシェヴィキの資料をAIで翻訳するようになりました。細かい書類なんて読みたい人がいるのだろうか、と思いつつ、翻訳した文書のリンクをTwitterに貼ってみたところ、意外と反応が良く、続けることにしました。
最初はnoteに掲載していましたが、当初から「和訳した文書を、アーカイブとして保存できるサイトがあるといいのに!」と思っていました。ゆくゆくはロシア語版や英語版も作って、学術的なアーカイブとして使ってもらえたらいいな、なんて妄想もしています。それならもう自分で作ってしまおう、というのがこのサイトです。
サイト名について
サイト名は、ボリシェヴィキの前身にあたるロシア社会民主労働党の機関紙「イスクラ(Искра)」から取りました。ロシア語で「火花」という意味です。
名前にこだわったというより、計画を思いついた当初から、名前はこれしかないと思っていました。
本当は iskra.com でドメインを取りたかったのですが、料金がとても高かったので、iskra-archives.com になりました。でも改めて考えると、こちらのほうが何のサイトか分かりやすくて、よかったかもしれません。
参考にしたサイト
サイトの作り方が分からなかったので、以前よくお邪魔していた levha.net さまを参考にさせていただきました。イスラーム神秘主義(スーフィズム)や詩人ルーミーについて探求しているサイトで、なんと2002年から続いている古参のサイトです。現在も更新が続いているようです。
あのサイトがルーミーやスーフィズムについて探求しているように、このサイトも、ボリシェヴィキの活動やロシア革命について探求できる場所にしていけたらいいなと思っています。
実は高校生のころから、ボリシェヴィキの革命家についてまとめたサイトがあるといいな、とも思っていました。ボリシェヴィキとメンシェヴィキから取って「ヴィキペディア」とか? なんだか某サイトのパクリみたいですが(笑)
なぜボリシェヴィキの回顧録を訳すのか
ここからは、このサイトを作った理由についての、少し個人的な話です。長くなりますが、よければお付き合いください。
新しい心療内科へ
昨日、新しい心療内科に行ってきました。
一年前の大学受験期から心療内科には通っていました(症状自体は、もっと前からありました)。ただ、このあいだ大学から郵送物が届いたことをきっかけに、単位をかなり落としていること、そもそも大学にうまく通えていないことが、はっきりしてしまいました。それで、通う心療内科を変えることにしたのです。
一般的な心療内科の診察時間は、5〜10分ほどだと言われています。以前通っていたところもそうでした。ですが、新しいクリニックは、毎回専門の先生による50分のカウンセリングがある、少し特殊なところです。心理学を重視して、薬をなるべく使わない治療を心がけているそうです。
というのも、このクリニックは、精神分析家カレン・ホーナイ(フロイトに始まる精神分析の流れを汲む人)と、その弟子である近藤章久先生の系譜を引くところなのです。
「ADHDかも」から、全く別の話へ
わたしは忘れ物が多く、約束をうっかり破ってしまうことが悩みでした。それで、自分は不注意型のADHDなのではないかと思っていました。実際、5日前に行った別の心療内科では、WAIS-IV(知能検査)を受けましょうという話も出ていました。
ところが、院長先生とじっくり話し合った結果、全く別の可能性が浮かび上がってきました。
もしかしたらわたしは、無意識のうちに、自分が持っている価値観、人と違うものを抑え込もうとしていたのではないか。その結果、日常生活のあちこちにひずみが出ていたのではないか、ということです。
抑え込んでいたもの
思えばわたしは、これまで自分の興味・関心と、うまく向き合えていませんでした。
社会主義・共産主義の歴史には中学一年生のときから、ボリシェヴィキについては中学三年生のときから関心がありました(関心があっただけで、ちゃんと調べてはいませんでしたが笑)。高校二年生のときには、ボリシェヴィキの革命家を主人公にした小説を書き始めています。
それなのに、心のどこかで、いつもこう思っていました。
「ほんとうにこんなことに関心を持っていていいのだろうか? わたしはおかしいのだろうか? 誰かに何か言われないだろうか?」
その背景には、いくつかのことが重なっていたと思います。
ひとつは、時代の空気です。わたしが思春期を過ごした2022〜23年は、ロシアに関わるもの全体への風当たりが強かった印象があります。ウクライナ侵攻は現在進行形ですし、わたし自身、平和主義的な価値観を持っています。さらに歴史的な経緯から、ソ連や共産主義に良い印象を持っている人は、あまり多くないのではないかとも思います。
もうひとつは、家庭の環境です。わたしはスピリチュアルな価値観を持つ家で育ちました。共産主義、特にマルクス=レーニン主義は、世界を物質を土台にとらえる唯物論の立場に立ち、宗教や霊的なものには否定的でした。つまり、わたしの育った環境とは、いろいろな意味で対極にあるものだったのです。
そのせいか、ボリシェヴィキに関心があること自体が、どこか家の価値観に背いているような後ろめたさにつながっていた気がします。
世間の印象
「誰かに何か言われないだろうか?」
こう書くと自意識過剰に聞こえるかもしれません。でも実際、今でも「ソ連の音楽が好きです」と言うと、「え、スターリンのこと好きなの?」と返されることがあります。
もっと突飛な話もあります。遊び半分で前世占いに行ったとき、なぜか「前世はボリシェヴィキ」と認定されました。そして、ポッドキャスト経由でこう言われたのです(直接言われたわけではない)。
「あの子の前世はボリシェヴィキだったの! ボリシェヴィキって何か知ってる? マルクス=レーニン主義っていう、過激思想を信じていたのよ! 精神年齢が幼い印ね!」
守秘義務はどこへ(笑)。今は気にしていませんが、当時は結構ショックでした。うすうす「わたしの前世とソ連の間には、何か関係があるのでは?」と思っていたからです(革命家だとは思っていませんでした。むしろソ連後期だと思っていました)。
それにしても、占いって、適当に「エジプトの王女でした!」「フランスの貴族でした!」と言うものではないのでしょうか。どうして、ボリシェヴィキなどという、マイナーでニッチな組織になったのでしょう??
ちなみにその後、別の場面でこの話をしたところ、今度は「マルクス=レーニン主義は過激思想なんかじゃないよ! 一緒に社会主義の未来を信じよう!」と、逆方向の励ましを受けてしまいました(笑)。
そんな出来事もあって、「ほんとうにこんなことに関心を持っていていいのだろうか」という思いは、ずっと消えませんでした。
世間の「正しさ」と、実際のものごと
話を戻すと、わたしは、世間で「正しい」「標準」とされている認識を、自分の認識として内面化しようとしていたのだと思います。
けれど、世の中や歴史の授業が語るものと、実際のものごとの間には、かなりの隔たりがある。それは、昔からずっと感じていたことでした。
中学一年生のときからソ連のポップ歌謡を掘り続けてきたわたしにとって、いちばん身近なものは「ソ連」でした。そこで聴く歌は、スターリン期でさえ、社会主義や共産主義を歌ったものは数えるほどしかありませんでした。ほとんどが、当時のアメリカや日本の流行歌と何も変わらない、愛を歌った歌でした。
だって、そこにも人がいたのです。人がいるところには、愛があるはずです。
ということは、もしかして「共産主義者」も。
前述の占い師は、霊視で見えたという人物が「ボリシェヴィキの革命家である」という属性だけで、非常に否定的な反応を示しました。そして逆方向の励ましも、やはり「ボリシェヴィキ」というラベルへの反応でした。わたし自身も、小説を書くときには、ウィキペディアに記録が残っている人の人生を参考にして、理念に献身的な登場人物を作ってきました。
でも、同じ人は世の中にひとりもいません。わたしたちが「共産主義者」と聞いて思い浮かべる人たち、「ボリシェヴィキ」と聞いてすぐ思い浮かべるレーニンやスターリン(やトロツキーやジノヴィエフやカーメネフやコロンタイや、以下略)の生きざまと、実際に何万人もいた党員一人ひとりの生きざまとの間には、違いがあるのではないでしょうか。
そして、わたしたちは政治や歴史を語るとき、現在の常識や価値観を優先するあまり、何か人間らしいものを見落としてはいないでしょうか。
回顧録を読み始める
「実際の無数のボリシェヴィキ党員は、どんなふうに生きていたのだろう? 思想と血に飢えた人たちだったのか、それとも現代のわたしたちのように、悩み苦しみながら生きていたのか? 彼らは共産主義に何を見たのだろう?」
そう気になって、回顧録を読み始めました。
最初に訳したのが「過去より」です。そこに出てくる、少年カプースチンのエピソードを、今でもよく覚えています。
友達に「『資本論』を読んだよ!」と自慢されて、悔しくて、図書館で借りて読んでみた。でも、何も分からない! 落ち込んで、自分は馬鹿なのではないかと思った。先輩に慰められた。
時代も思想も違いますが、その気持ちは、現代のわたしたちにも共感できるのではないでしょうか。
Twitterでの反応、そしてアーカイブへ
試しにTwitterで、こうした資料の概要を投稿してみたところ、意外にも反響がありました。まったく知られていない人の人生を語ることにも、意味があるのかもしれない、と思い始めました。
こうした資料をもっと増やしていきたい。こんな人たちがいたということを、もっと多くの人に知ってもらいたい。「共産主義」という大きなイデオロギーの影に、こういう人たちがいたことを知ってほしい。それが、このアーカイブを作ったきっかけです。
このサイトで目指すこと
レッテルや色眼鏡を外して、歴史上のさまざまな人々の暮らしを見つめること。それは、ほかでもない自分自身を受け入れること、多様な他者を受け入れること、そしてゆくゆくは自分の内面の平和、ひいては世界平和にもつながっていくのではないかと思っています(大げさですね)。
今後は、翻訳する文書を増やしていくこと、ロシア語版・英語版を作ることなどに挑戦していきたいです。
診察室でのこと
最後にもうひとつ。先生に「100年前のロシアのポップスが好きで、Twitterで発信している」と話したら、「何それ、面白そうなんだけど!」と言ってくださいました。「こんなマニアックな話をしてしまって、ごめんなさい……」と口では言ってしまいましたが、内心では、その反応がとても嬉しかったです。
文章がもっとうまく書けるようになりたいです。先日ノーベル文学賞の発表がありましたが、川端康成とか乗り移ってきてくれないかな。文才の神様〜(~_~;)